2006年10月02日

「まだ開けていないドア」2

 前回、思いつきで書いた「まだ開けていないドア」という喩えですが、シナリオを考えるのに色々便利なので、もう少し考えてみます。

 シティアドベンチャーで例を挙げると、

・酒場で街の噂を集める
・人物Aに会って話を聞く

というような「やるべきこと」が考えられます。ここだけの用語で「タスク」と呼ぶことにします。私が「まだ開けていないドア」という喩えで表現しているものです。
 さて、ここで酒場にいって実際に街の噂を集めたとします。そうすると、このタスクは「すでに開けたドア」になります。そこで新しい情報が手に入れば、それがまた新しいタスクとして加わることもあるでしょう。

・酒場で街の噂を集める
・人物にAに会って話を聞く
・町外れの廃墟を捜索する
・20年前にこの街で起きたある事件を覚えている人を捜す

という風に。あるいは、あるタスクを実行することで、別のタスクが無意味になったり、実行不能になることもあるでしょう。

 ダンジョンでは、「まだ開けていないドア」をひとつひとつ「すでに開けたドア」に変えていくことでシナリオが進行していきますが、シティアドベンチャーでは、なすべき「タスク」をひとつひとつ片付けていくことでシナリオが進行していくわけです。

 この「まだ開けていないドア」というモデルに対して、二つの別の考え方を対照、比較してみます。

 まずは、もっとプレイヤーに自由を与えたい、という立場。いくらタスクが複数あるといっても、ゲームマスターの提示する選択肢から選ぶだけではつまらない。自由に動き回りたい…。
 さて、最近RPGでもっとも価値が下落した言葉のひとつが「自由」かもしれませんね。昔は、何より「自由」こそがRPGの美点であり、他にない魅力だとされたものですが。こうなったのは、本当にゲームの中で幅広い自由を追求してしまうと、ほとんどゲームにならない(あるいは高度な技巧が必要になる)ということが、実践によって判明してしまったからでしょう。
 「まだ開けていないドア」のモデルでは、その意味では自由はありません。正直、そんなもの要らないと思っているのですが。

 もうひとつの立場は、選択には意味がなければならない、というもの。この立場からいえば、漠然とならんだタスクを適当に選んでゲームを進めていくなど、本当の意味で選択とはいえない、ということになります。
 じゃあ、どうしたらいいかというと、ひとつひとつの選択が意味のある結果を生んでいかなければならない、となります。それを実現するにはいろいろなやり方があるでしょうが、ひとつの方法は「分岐」です。
 プレイヤーの選択によって、その後の展開が変わってくる「分岐」というギミックはもちろん悪くは無いのですが、作るのは大変です。いくつもの分岐をするシナリオを作っても、一回しかプレイしないなら使わなかった部分は無駄になります。苦労した分プレイヤーが喜んでくれるならいいのですが、そうでもなくて、下手すると分岐があったということすら気づかず、セッション後に「あそこでこうしていたら、こんな風に展開していたんだよ」とゲームマスターに言われても、「ふーん」くらいで終わってしまうことも多いんじゃないでしょうか。
 そして、プレイヤーは本当に分岐を求めているのだろうか、という疑問が出てきます。実際、コンピュータ・ゲームなどで分岐があるシナリオだと、両方の展開を見たくなるのが人情ですよね。ドアが2つあったら、どちらか片方しか開けられないより、両方開けられる方がプレイヤーはうれしいのではなかろうか。それで選択ということの意味がなくなるとしても。

 以上に述べたように、「まだ開けていないドア」というモデルは、シナリオの扱いやすさを中心に考えたものです。単純ですが、自分がプレイヤーだったらこのレベルで十分楽しめます。
 とはいえ「自由な行動」も「分岐」も、切り捨ててしまうには惜しいものがあるので、こうしたものをどう取り込んでいくかは、今後の宿題ということにしておきます(子どもの頃から宿題忘れは多かったんですが)。
posted by Glaurung at 03:06| Comment(18) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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