2005年03月08日

橋口倫介『十字軍騎士団』

 橋口倫介著『十字軍騎士団』(講談社学術文庫)を読んでいます。十字軍を契機に生まれた騎士修道会、特にテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団をテーマにした本です。騎士修道会について少しは知っていましたが、詳しいことは知らなかったのでなかなか面白く読めます。

 騎士修道会というのは、その名の通り修道会であると同時に戦士集団であるというところがユニークだと言えましょう。テンプル騎士団も聖ヨハネ騎士団も、最盛期には1万を超える所領を持ち、一国に匹敵する軍事力を保持し、膨大な資金で金融業を営み国王に貸し付けるほどの財力を持った法人です。両騎士団とも上に教皇がいる以外は独立した存在であり、他の君主には臣従しません。

 いわゆる騎士団と言うものが、十字軍期に生まれた騎士修道会以前には存在しなかったというのはこの本ではじめて知りました。考えてみれば中世の騎士というのはそれぞれ独立した領主で、自分の主君とは主従契約を結びますが、騎士同士が集まってチームを作るいわれはないわけです。時代が下ると、騎士修道会を範として、世俗君主が創設する騎士団が生まれます。イギリスのガーター騎士団などが有名ですね。これは側近のエリートをメンバーとしたもので、実際的な機能をもった組織と言うよりは、飾りのようなものだったとか。

 中世ヨーロッパの話ですから、当然、騎士修道会に入会できるのは男子だけ。ただ聖ヨハネ騎士団には病院業務もあったので、聖ヨハネ女子修道会というのも併設されていたとか。テンプル騎士団に入れるのは騎士身分の者だけですが、聖ヨハネ騎士団の方は農奴出身でなければ入会できたとあります。テンプル騎士団でも、従士として参入して平民でもそれなりに出世できたらしい。それから、カトリックですので秘蹟を執り行う司祭の存在は必須なのですが、修道会内では司祭の地位は修道騎士より下というのも興味深いところです。

 一番面白かった(?)ところ。
 聖ベルナルドゥスの勧説の言葉。「罪人こそその贖罪を果たし、キリストの真の下僕とならなければなりません。十字軍は敵を殺すために行うのではなく、むしろ殺されるために行くのです。」
 いやはや、中世人の宗教的情熱を甘く見ていたと思いましたね。そうか、殺されるために行ったのか。確かに騎士も平民も男も女も、たくさん死んだわけですが。十字軍とは同時に巡礼であり、巡礼は苦行を含むものであって、死んでしまうのもその一環という感じですか。
 この辺の心性というのは、非常に興味深い。
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2005年02月22日

折々のうた

 私の卒業した小学校では、1・2年ではいろはかるた、3・4年では芭蕉、蕪村、一茶の俳句を五十句、5・6年で百人一首を憶えて、年に一度、かるた大会をやることになっていました。俳句のかるたというのはちょっと珍しいかもしれません。あの学校で作ったものなのだろうか。
 内容の説明なんか一切なしで、とにかく憶えてかるたを取れば良い。いろはかるただと「かったいのかさ恨み」なんてのがあって、小学生には意味がさっぱりわからず母親に聞いたら、母親も知らなかったのでわざわざ伯母に聞いて答えてくれました。かったいも、かさも病気だと。それで分かったような、分からないような。今では「いろはかるた」は、もうやってないでしょうね。いろいろ問題になりそうだから。
 それはともかくとして、丸暗記でも何でもあの年代に短歌なり俳句なりを暗誦したのは良いことだったかも知れないなあと、『折々のうた』(岩波新書)なんかを読みながら思ったのでした。
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2004年11月03日

きのこの絵本

 『きのこの絵本』渡辺隆次著、ちくま文庫。

 べつに絵本ではなくエッセイ集です。著者は画家であり、著者自身の手によるきのこの彩色画が多数入ってるところが「絵本」と題した理由なのでしょう。八ヶ岳の山麓にアトリエを構え、きのこ狩りを趣味にする著者が、きのこについてあれこれ語る、というような内容です。渡辺隆次という人がどういう画家なのかは実はぜんぜん知らないのですが、この本にあるきのこのイラストは博物画のような写実的なタッチです。

 以下は、ここを読んでいる人のうち約一名しか関心がないかもしれませんが、書いておきます。
 ドイツで食用として好まれるシュタインピルツ(直訳すると石キノコ)というきのこですが、日本にも分布しており、和名をヤマドリタケ(山鳥茸)といいます。ただ、ヨーロッパの物とは若干性質を異にしていて、肉質が柔らかく、香りは弱いのだそうです。もちろん食べられますが、日本ではどうも食べる習慣がないようです。
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2004年09月25日

ハリーポッターと秘密の部屋

 ちょっと「魂の戦争」を中断して、Harry Potter and the Chamber of Secrets を読んでいます。

 ページを開いて最初に思ったこと。
「うわ、活字でかっ!」
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2004年08月10日

「ドラゴンクエストIII」、物語は勝利したか」

 久しぶりに高橋源一郎の評論集『文学がこんなにわかっていいかしら』を読み返してみました。高橋源一郎は、スポーツニュースとかによく顔を出していたりしますが、プロの作家です。私は特に高橋のファンというわけでもないのですが、彼の小説の中では、デビュー作の『さようなら、ギャングたち』が一番好きですね。
 『文学がこんなにわかっていいかしら』は、雑誌などに掲載した文芸評論などをまとめた本で、単行本として福武書店から刊行され、後に福武文庫に入りました。現在は「版元品切増刷予定なし」な状態なので、古本屋などで見かけたら手に取ってみてください。

 この本に「『ドラゴンクエストIII』、物語は勝利したか」という評論が収められています。時期的には、ドラクエ3が発売されてからしばらく経った頃に発表されたものだと思われます。(というと、いったい何年前になるんだろう…? 要するにずいぶん昔の話です。)

 ドラクエ3が商業的にも大成功し、ゲーム関係者からも大絶賛を受ける。しかしそうした中、無名のユーザーの間に広がっていく呟きがあった。「『ドラクエIII』はほんとうに面白いのだろうか」と。
 高橋のドラクエ3への批判はこのように始まります。しかし当時、ドラクエ3をそこまで批判的に見られる「無名のユーザー」が現実にどれだけいたかは疑問です。まるっきり高橋の創作であるような気もしますが、それはまあどうでもいいでしょう。

 以下、高橋の原文を引用します。


確かに、「ドラクエIII」は完璧なゲームかもしれない。そのバランス、そのシナリオの精密さ、シーンからシーンへの移行の滑らかさ、壺を心得たユーモア、決してゲーマーを飽きさせないストーリー展開、どれをとっても前例のない高みに達していることは格闘した全てのゲーマーが認めるとおりであろう。では、「ドラクエIII」のなにが我々に疑問を感じさせたのか。


 その理由を高橋はドラクエ3の「完璧さ」だとしています。完璧であるがゆえに、ユーザーを飽きさせたりはしないが、同時にユーザーを限界にまで引きずりこむこともできない。それに対し、高橋はドラクエ2の「バランスの悪さ」を対比させます。


それは既に発売当時から、ゲーマーたちにとっては周知の事実であり、一切の展望を失い怪物どもを退治するだけのデッド・ロックにぶつかったり、複雑怪奇な迷路の中をあてどもなくさ迷ったりすることは、こういったゲームにありがちなことであるから別段不思議がることはないし、またその程度が尋常ではないといったこともままあることだから、これを「ドラクエ」の特性にあげることはできないにしても、とにかく「ドラクエII」にはある枠を外れた、どこかあの世じみた放埓な部分が確かに存在していて、心底疲れはて、あげくのはてに「くそ! やってらんない」と叫びながらも、不死鳥のごとく、なかば無意識でコントローラーを握りしめAボタンとBボタンを押しつづけるうちに、いつしか生と死の間をくぐりぬけ、越えることなどできないように見えた壁を越えている自分を発見したことが何度もあったのだ。


 長いですが、これで1センテンス。さらに引用を続けます。


「ドラクエIII」は完璧さを身につけるために、「ドラクエII」のこの過剰さを放棄したのだ。だから「ドラクエIII」を旅する我々は、もはや無意味さに悩むことはない。「ドラクエII」から過剰さを追放するために、製作者たちがとった方法は、その隙間を「物語」で充填することだったのである。


 高橋が「物語」というものに警戒するのは、当然、小説家だからでしょうが、時代の所為もあると思います。「物語」なる言葉が盛んに喧伝された時代があったのです。今でもその余波は残っていますけどね。押井守なんかもCRPGと絡めて「物語」批判をやっていたように記憶してます。(残念ながら、押井の言うことは私にはピンと来なかったのですが。)
 その後、CRPGは全体としてドラクエ3的な方向に流れていくことになります。ドラクエ3の記録的なセールスの所為なのか、それともやはりユーザーの求める方向がそれだったのか。いずれにしろ、私はずいぶん前にCRPGをプレイすることやめてしまったのですから、何も言う資格はありませんが。

 この文章は、以下のように結ばれます。


自らの生み出した「読者」のために、「万人に開かれたゲーム」という幻想が生まれた瞬間から「物語」の導入は不可避であった。「ドラクエIII」は名工たちによって磨きあげられた最高のエンターテインメントである。だが、それはスピルバーグの善意のエンターテインメントがそうであるように、そのサーヴィスによって我々をどこまでも軽い疲労におとしこむのだ。だから、我々はこう言わねばならない。我々に必要なのは「善意」にみちた(それが「悪意」であってもほとんど変わりはないのだが)物語ではなく、底が抜け、その抜けた底から冷たい風が吹きあがる「ゲーム」そのものなのだ、と。
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2004年04月06日

「中つ国」歴史地図

カレン・ウィン・フォンスタッド著、評論社 ( ISBN: 4-566-02375-3 )

 The Atlas of Middle-Earth (Revised Edition)の翻訳。『シルマリルの物語』、『指輪物語』、『ホビットの冒険』に登場する土地の可能な限り正確な地図を再現したもの。地図学の素養のある著者が、地質学の知識などを総動員して描いています。
 映画の影響で指輪物語の「関連本」が巷にあふれていますが、これはファン必見の一冊ですよ。
posted by Glaurung at 05:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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