2006年10月03日

「まだ開けていないドア」3

 今までに述べたことを踏まえて、実践的な活用について考えてみます。

 まず、導入。プレイヤーに為すべき最初の「タスク」を提示するのが、シナリオの導入部の役割と言えるでしょう。
 ここで、シナリオ全体の目的(シナリオのクリア条件)を提示してもいいですが、とりあえず次に何をすればいいかさえ提示できれば、シナリオ全体のゴールは示されなくてもいいし、導入部で提示されたゴールが途中でひっくり返されることがあってもいいでしょう。迷子の猫を探してほしい、という依頼から大事件に巻き込まれるとか、善人のような顔をした依頼人が実はPCを陥れる黒幕だとか、よくあるパターンです。
 逆に、導入部でシナリオ全体のゴールを示しても、具体的にはまず何をすればいいのかを示さなければ、プレイヤーは困ってしまうわけです。

 PCが何をしたらいいのかという提示がなかなかされず、しかたなく酒場か何かでぐだぐだしてみる、なんて展開も昔のセッションではあったものですが、最近はどうなんでしょうね。少しじらしてからネタを放り込んだ方が、プレイヤーの喰いつきがいい、という狙いもあったのかもしれません。

 さて、これまで私は「まだ開けていないドア」が複数ある状態がよい、としてきました。その方が、プレイヤーは自由な気分を感じながらゲームに取り組むことができるからです。しかし、敢えて不自由を感じてもらうというテクニックも考えられます。
 「まだ開けていないドア」が減ってくると、プレイヤーは窮屈に感じ、心理的な圧迫感を感じます。残りの「ドア」が一つになれば、そのドアを開けなければいけないというプレッシャーが発生します。そして、ついに「開けていないドア」が無くなってしまえばプレイヤーのストレスは最大になり、何とか袋小路から抜け出そうと、何か見落としはないかと探し回ることになります。そこで「隠し扉」を発見できれば、プレイヤーは開放感を味わうことになります。
 これを応用すれば、「圧迫感」から「開放感」へと誘導してシナリオにメリハリをつけることができるかもしれません。

 ダンジョン物のシナリオでは、いくつか並んでいるドアの内の一つを開けたらそれがボスの部屋でした、なんてことは余りありません。ダンジョンをあちこち巡った後、最深部のドアの向うにボスは陣取っているものです。
 クライマックスに近づくにつれて残りの「ドア」が減っていき、最後のドアを開けるとボスが登場というのも、ドアの数が少なくなることで圧迫感・緊張感が高まることを利用した構造だと考えられます。

 セッションに緊張感をもたらしたければ、「分岐」や「時間制限」を使う手もあります。分岐については前に少し書きました。「時間制限」というのは、つまるところ複数ある「まだ開けていないドア」のうち一部しか開けられないことにして、選択に意味をもたせる手法です。プレイヤーはどのドアを開け、どのドアを切り捨てるかという葛藤を体験することになります。「分岐」というのも、複数のドアの中から一つを選んで残りは捨てるということですから、本質的には同じものかもしれません。
 こうした要素をどれくらい重視するかは、プレイスタイルによって違うでしょう
。RPGのセッションをシリアスな挑戦だと捉えている人は、「分岐」や「時間制限」のもたらす緊張感を高く評価しますし、もっと気楽に楽しみたいという人はこうした要素をあまり好まないと思われます。(私個人でいうと、RPGの持つ「気楽さ」を他のゲームにはあまりない独特な要素として積極的に評価しています。)

 最後に。「開けたくないドア」というのもあります。開けると何かまずい事が起きそうで、取りあえず後回しにしたくなるような選択肢というのは、ダンジョンでもシティアドベンチャーでもあります。開けなくてもシナリオはクリアできるのか、最後は開けざるをえないのか。開けると本当に悪いことが起きるのか、否か。シナリオの序盤から出していくのか、中盤以降に登場させるか。その辺はいろいろだと思いますが、意図的に組み込んでみるのも面白そうです。
 先に述べた、開けていないドアの数を減らしていくテクニックと組み合わせると、残りのドアの数が減るとそれだけ「開けたくないドア」の存在感が増してくるわけで、嫌な雰囲気を盛り上げるのに使えるんじゃないかと思います。
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2006年10月02日

「まだ開けていないドア」2

 前回、思いつきで書いた「まだ開けていないドア」という喩えですが、シナリオを考えるのに色々便利なので、もう少し考えてみます。

 シティアドベンチャーで例を挙げると、

・酒場で街の噂を集める
・人物Aに会って話を聞く

というような「やるべきこと」が考えられます。ここだけの用語で「タスク」と呼ぶことにします。私が「まだ開けていないドア」という喩えで表現しているものです。
 さて、ここで酒場にいって実際に街の噂を集めたとします。そうすると、このタスクは「すでに開けたドア」になります。そこで新しい情報が手に入れば、それがまた新しいタスクとして加わることもあるでしょう。

・酒場で街の噂を集める
・人物にAに会って話を聞く
・町外れの廃墟を捜索する
・20年前にこの街で起きたある事件を覚えている人を捜す

という風に。あるいは、あるタスクを実行することで、別のタスクが無意味になったり、実行不能になることもあるでしょう。

 ダンジョンでは、「まだ開けていないドア」をひとつひとつ「すでに開けたドア」に変えていくことでシナリオが進行していきますが、シティアドベンチャーでは、なすべき「タスク」をひとつひとつ片付けていくことでシナリオが進行していくわけです。

 この「まだ開けていないドア」というモデルに対して、二つの別の考え方を対照、比較してみます。

 まずは、もっとプレイヤーに自由を与えたい、という立場。いくらタスクが複数あるといっても、ゲームマスターの提示する選択肢から選ぶだけではつまらない。自由に動き回りたい…。
 さて、最近RPGでもっとも価値が下落した言葉のひとつが「自由」かもしれませんね。昔は、何より「自由」こそがRPGの美点であり、他にない魅力だとされたものですが。こうなったのは、本当にゲームの中で幅広い自由を追求してしまうと、ほとんどゲームにならない(あるいは高度な技巧が必要になる)ということが、実践によって判明してしまったからでしょう。
 「まだ開けていないドア」のモデルでは、その意味では自由はありません。正直、そんなもの要らないと思っているのですが。

 もうひとつの立場は、選択には意味がなければならない、というもの。この立場からいえば、漠然とならんだタスクを適当に選んでゲームを進めていくなど、本当の意味で選択とはいえない、ということになります。
 じゃあ、どうしたらいいかというと、ひとつひとつの選択が意味のある結果を生んでいかなければならない、となります。それを実現するにはいろいろなやり方があるでしょうが、ひとつの方法は「分岐」です。
 プレイヤーの選択によって、その後の展開が変わってくる「分岐」というギミックはもちろん悪くは無いのですが、作るのは大変です。いくつもの分岐をするシナリオを作っても、一回しかプレイしないなら使わなかった部分は無駄になります。苦労した分プレイヤーが喜んでくれるならいいのですが、そうでもなくて、下手すると分岐があったということすら気づかず、セッション後に「あそこでこうしていたら、こんな風に展開していたんだよ」とゲームマスターに言われても、「ふーん」くらいで終わってしまうことも多いんじゃないでしょうか。
 そして、プレイヤーは本当に分岐を求めているのだろうか、という疑問が出てきます。実際、コンピュータ・ゲームなどで分岐があるシナリオだと、両方の展開を見たくなるのが人情ですよね。ドアが2つあったら、どちらか片方しか開けられないより、両方開けられる方がプレイヤーはうれしいのではなかろうか。それで選択ということの意味がなくなるとしても。

 以上に述べたように、「まだ開けていないドア」というモデルは、シナリオの扱いやすさを中心に考えたものです。単純ですが、自分がプレイヤーだったらこのレベルで十分楽しめます。
 とはいえ「自由な行動」も「分岐」も、切り捨ててしまうには惜しいものがあるので、こうしたものをどう取り込んでいくかは、今後の宿題ということにしておきます(子どもの頃から宿題忘れは多かったんですが)。
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2006年10月01日

「まだ開けていないドア」…シナリオを考える

 最近はもうすっかり「シナリオ作れない病」の私ですが、それでも頑張ってシナリオの作り方を考えていきたいと思います。

 シナリオを構成する個々の要素、つまり戦闘とか、交渉とか、罠とか、そういったものはとりあえずそんなに難しくありません。たぶん難しいのは、個々の要素をどうやってつなげていったらいいか、ということだと思うのです。ダンジョンの偉いところは、その辺をあんまり考えなくていいところですね。

 そこで考えたんですが、シナリオで一番大切なのは、プレイヤーに「次に何をすればいいか」ということを示すことなのだと思います。

 逆にいうと、最もまずいのは、プレイヤーが何をしたらいいのかわからなくなることではないでしょうか。私がプレイヤーだったら、「やるべきこと」がわからないのが一番嫌です。

 次に嫌なのが、いわゆる「一本道」のシナリオ。「やるべきこと」が一度にひとつしか提示されないのは、単調で面白くない。もちろん、セッション中の場面をひとつずつ見ていったとき、その中には「やるべきこと」がひとつしかない場面もあって構わないのですが、初めから終わりまでそれが続くのは勘弁してほしいということです。

 セッション中、プレイヤー達に「やるべきこと」が出来るだけ複数あるようにしておくことがシナリオには求められているのではないでしょうか。

 ダンジョンに喩えてみます。

 行き止まりでもう行ける場所が無い。これは最高につまらない。

 ドアがひとつある。これは楽しい。ドアを開けたら、向こうにきっと何かがある。でも、ドアを開けて「何か」と遭遇した後、その先にあるのがドアひとつだけだったら? そしてその次の部屋にも、そのまた次の部屋にもドアはひとつしかなかったら? やっぱり一本道は楽しくない。

 ドアが2つあったら。その方が楽しい。右を開けるか、左を開けるか、なんて何の意味もないけれど、それでも自分で選べるのがいい。もっとも、無限に分岐していくわけにはいかないから、ドアを開けた先が行き止まりだったり、道が合流したりしないといけないが、それは別に問題ではない。
 必要なのは「無限の可能性」ではなく、「まだ開けていないドア」が(できれば2つ以上)存在することなのだから。

 すごく簡単なことだけど、これって重要だと思いませんか。
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2006年03月21日

GURPS 第4版

 とりあえず、これでベーシックの2冊が出揃いました。

 ちゃんと読んでませんが、サイズ関係のルールがいい感じです。D&Dのサイズのルールも好きなんですよ。国産ゲームでサイズをきちんとルール化しているものって、ちょっと思いつかないんですが(ついでに言うと荷重のルールも)、ワタシはサイズとか荷重とかのルール大好きなんで、ふふふ。そのへんはやっぱり海外ゲームの独擅場ですな。

 それから、オフィシャル設定としてついている「インフィニット・ワールド」が面白い。無数の平行世界が存在して、世界間の移動が技術的に可能になっているというセッティング。GURPSが強いのはSFと歴史もの(含、歴史改変もの)だと思うのですが、どちらも上手く取り込めるわけです。

 しかし3版の頃の展開を思うと、4版は原書でもまだ「出揃っていない」ように感じますね。ヴィーアクルとかテック系がひと通り出て、わけわからんサプリが出てくるようになってからが本番かもしれない。
 一番問題なのは、最近、新しいゲームに手を出すのが億劫になっていることなんですが。年は取りたくないものじゃのう。
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2005年11月04日

無形の玩具としてのRPG(3)

 少し間が空きましたが、続きです。

 RPGという玩具で遊ぶ際に問題になるのは、多人数で遊ぶものだという点です。一人で遊んでも楽しくないですからね。
 一人で玩具で遊ぶならそれこそ好きなように遊べばいいのですが、多人数で遊ぶ場合は、如何にそれを共有するかという話になってきます。私の経験上、RPGに「ゲーム性」という要素を持ち込むことでその調整が楽になると感じています。
 「RPGではなんでも自由なことができる」なんてことが言われたこともありましたが、実際に参加者が各自勝手気ままに動き出したらセッションは崩壊します。そこで(厳密にはコスティキャン的な意味で「目的」とは呼べなくとも)進むべき方向を示し、RPGをゲームのように遊ぶことでセッションの崩壊を防ぐことができます。
 RPGは様々な要素から成り立っていますが、「ゲーム性」という要素はそれらすべてを繋ぎとめる役割を果たすといってもよいでしょう。

 繰り返しますが、RPGをコスティキャン的な意味での「ゲーム」として遊ぶことも可能です。だからといって、是非とも「ゲーム」として遊ばなければならないというわけではなく、セッションが崩壊しない程度に「ゲーム性」が含まれていればそれでいいのではないでしょうか。
 面子やプレイスタイルによっては、「ゲーム性」が限りなく希薄になってもRPGは成立すると思われます。逆に、参加者がお互いをよく知らず、プレイスタイルの擦り合せが十分でないときは「ゲーム性」を強くした方がやりやすいようです。あとは、プレイする人の趣味次第でしょう。

 ゲームマスターについても触れておきます。ゲームマスターは、RPGを「ゲーム」として楽しむことが難しい立場にあります。ゲームマスターが使用できるゲーム内のリソースを明確に制限して、同時に明確な目的(PCを全滅させる等)を設定すれば、ゲームとして遊べないことはないのですが。
 それではゲームマスターの楽しみとは何なのでしょうか。RPGをゲームとして楽しむことが難しい反面、玩具としての楽しみを他の参加者より多く得られるのがゲームマスターをすることの魅力ではないかというのが、私の考えです。だからゲームマスターをやるのも好きですし、ゲームができないからつまらないとはまったく思いません。

 最後に余談になりますが、コンピューターRPGについて。コンピューターRPGの人気も、純粋な「ゲーム」ではなく、「ゲーム性」を含んだ「玩具」であることが理由ではないでしょうか。ゲームを「クリア」するという一応の目的は与えられますが、必ずしもそれに捕われることはなく、目標達成に関わりのない行為を楽しめることがある種の「気楽さ」を生んでおり、他のコンピューターゲームにはない魅力になっているように思います。

 以上、コスティキャンのゲーム論から出発して、玩具としてのRPGを考えてみました。次は、同じくコスティキャンの試論から出発しながら、私とは逆にRPGをゲームとして捉えた「馬場秀和のマスターリング講座」について考えてみるつもりです。
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2005年10月10日

無形の玩具としてのRPG(2)

 RPGは(コスティキャン的な意味では)ゲームではなく、玩具であると述べました。私は、ゲームを遊ぶことと、玩具で遊ぶことの間に優劣は存在しないと考えています。例えば、将棋はゲームですが、園芸はゲームとはいえないでしょう。むろん庭弄りをする人は、何かしら目標を持って園芸を楽しんでいるでしょうが、その目標は自由に決めてよいものですからコスティキャンの言うゲームの「目的」には当てはまらないでしょう。そして、将棋と園芸の一方が趣味として優れていて、他方が劣っているなどという人はいません。どちらも奥の深い趣味だということは、誰もが認めるところです。

 ところで、RPGがゲームでないならば所謂ゲームシステムなど不要であろうと言う人がいます。しかし、それは違うと私は考えます。RPGのルールやデータ、世界設定などは、いうなれば無形の玩具です。園芸において庭という玩具が楽しみを与えてくれるのと同じく、RPGにおいては巧妙にデザインされたルール等は無形の玩具としてそれ自体楽しみを与えてくれます。ルールとデータによって構築される世界を渉猟する楽しみ、セッションにおいて参加者の誰もが予想しない結果がシステムによってもたらされる驚き。それらもRPGの楽しみなのです。もちろん、所謂ゲームシステムが「ゲーム」のための装置としての機能を持つことを否定するわけではありませんが。

 それから、RPGにはダイス、カード、ミニチュア、キャラクターシート、マップなどの有形の玩具も同時に使われます。これらも単に「ゲーム」の為の手段ではなく、それ自体が楽しみを提供する力のある玩具でもあるのです。例えば、ダイスを降ることはそれ自体楽しい行為といえるでしょう。たくさんのダイスを一度にジャラジャラと振ったり、いろんな種類の多面体のダイスを振るのはさらに楽しいでしょう。透明やマーブル模様などのきれいな色のダイスは、目を楽しませてくれます。

 RPGの歴史を振り返ってみましょう。RPGはシミュレーションゲームから発生したと言われることがあります。私は、RPGはミニチュア・アクチュアル・ゲームから発生したと言うほうが適切ではないかと思っています。
 「シミュレーション・ゲームでは駒でしかないものが、生き生きとしたキャラクターとなっていったのがRPGの進化である。」大雑把に言うとこんな意見があります。シミュレーション・ゲームとの違い、断絶があることを重視する立場です。確かにそういう側面はあったと思うのですが、私の見方は少し違います。
 ミニチュア・アクチュアル・ゲームでは、ゲームの勝敗に対する関心に加えて、玩具であるミニチュアそれ自体を楽しむという面が少なからずあると思うのです。机上に並ぶミニチュアによってもたらされるイメージ、臨場感といったものの重要性。それがある種の「前適応」となってRPGの「進化」が実現したとは言えないでしょうか。先行するゲームとの断絶ではなく、連続性からRPGというものを考えたいというのが私の気持ちです。

 ちょっと話が散漫になりましたが、有形・無形の玩具の総体がRPGであるというのが、ここでの主張です。したがってRPGを形成する諸要素は、すべてが「ゲーム」に奉仕するものである必要もないと考えます。
 しかしながら、RPGにおけるゲームと言う要素を軽視するつもりはありません。それどころか、RPGにおいてゲーム性とは非常に重要な要素だとみなしています。これについてはまた後に。
posted by Glaurung at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無形の玩具としてのRPG(1)

 コスティキャンのゲーム論というのがあって、なかなか個性的で面白い。
 RPGはゲームか否かという議論は昔からあって、結局、「ゲーム」の定義次第で結論が決まってくるわけだけど、私はRPGはコスティキャン的な意味ではゲームではないと考えます。なぜなら、RPGには明確な目的がないからです。
 もちろん、明確な目的とは言えなくても、それに近いものはあります。そのゲームのルール・世界観から期待されるPCの役割だったり、シナリオのレベルで想定されるゴールだったり、プレイヤーが設定したPCの目指す目標だったりで、それらの目標を達成するためにリソースを操作して遊ぶという「ゲーム」的側面は、RPGにも間違いなくあります。しかしそれは厳密なものではなく、最終的な決定は遊び手に委ねられています。
 たとえば「シムシティ」でも、遊び手は(漠然とでも)何らかの目標を設定し、それを目指してプレイするのが普通でしょう。しかし、コスティキャンは「シムシティ」はゲームではなく玩具であるとしています。つまり、コスティキャンの言う「目標」とは、遊び手が任意に設定するようなものではなく、ゲームの方から遊び手に従うことを要求してくるルールの一種なのだと考えられます。
 それならば、コスティキャンの文脈で考えると、「シムシティ」がゲームのように遊ぶことができる玩具であるのと同様、RPGもまたゲームのように遊ぶことができる玩具ということになりそうです。
 誤解のないように断わっておきますが、私はRPGをゲームとして遊ぶことができないと主張するつもりはありません。プレイスタイルとして、RPGをコスティキャン的な意味でのゲームとしてプレイすることは可能でしょうし、その方向を否定するつもりはありません。また、コスティキャン的な意味でのゲームとしてデザインされたRPGや、RPGシナリオというのもありうるでしょう。喩えるなら、ボールはゲームではなく玩具ですが、ボールを使ってゲームをすることは可能なのと同じことです。あるいは、特定のゲームのために設計されたボールとそのボールを使うゲーム(のルール等)をパッケージにして商品化することもできる、ということです。
 しかし、そうした例が存在したとしても、一般にRPGがゲームであるとは言えないということです。
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2005年06月19日

Through the Drakwald プレイ

 Warhammer FRP 2nd の基本ルールブックに付属するシナリオ Through the Drakwald をプレイしました。私がGMで、プレイヤーは4人。やはりというべきか、全員旧版の経験者です。
 卓にルールブックが2冊で、ルールの説明などをしつつゆっくりキャラクターを作成。10時に開始して、ひと通りキャラクターが完成したのは12時前でしたか。キャリアをはじめ、キャラクター作成はダイスによって決まる部分が非常に多いので、慣れればもっとはやく作れるようになると思われます。そこから昼食を挟んで、セッションが終わったのが5時前だったと思います。

 PCは、以下のような面々となりました。

ピーター 人間・盗賊(Thief)
 正統派盗賊の能力をきちんと押さえたキャラクターでしたが、残念ながら今回はあまり使う機会がなかった。

ブロック ドワーフ・芸人(Entertainer)
 斧でジャグリングをするという一風変わったドワーフ芸人。しかしシナリオの状況は、芸を披露するどころではなかったりする。

ヨハン 人間・街道巡視員(Roadwarden)
 Medium Armour(金貨170枚)、Pistol(金貨200枚)、Light Warhorse(金貨300枚)という超高額初期装備で一同の度肝を抜く。いやあ、Roadwardenって金持ちなのね。しかし後半、彼に悲劇が…。

アルトール エルフ・Kithband Warrior
 射手かつ、パーティー唯一の Heal スキルの持ち主。しかし、ダイス目は振るわず…。

 ルールはシンプルに、選択ルールとなってる Encumbrance と Advanced Armour のルールは採用しませんでした。NPCには Sudden Death Critical Hits のルールを使用し、Advanced Actions も一部採用しました。
 とりあえず、続きは後に。
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2005年05月30日

6月12日、Warhammer FRP プレイします。

 都内で活動しているサウスアイランドというサークルで、Warhammer FRP 2nd の卓を立てることになりました。6月12日(日)です。サークルですが、外部の方でも普通に参加できるので(一回限りの参加でも問題なし)、興味のある方はサークルのサイトのほうをご覧になってください。
 さて、ちゃんとルールブックを読まんといかんなあ。

 ちょうど、発売になったばかりのR&R誌の最新号で安田均氏がWFRP2の紹介を書いています。安田氏としても翻訳を出したい様子で、翻訳希望の人はR&R誌に要望を送って欲しいとのこと。たしか復刊ドットコムでも復刊希望票がそれなりに溜まっていた筈なので、うまくすると出版社を動かせるかもしれません。
posted by Glaurung at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月05日

『クトゥルフ・ダークエイジ』

 ダークエイジ(暗黒時代)というと、広くはヨーロッパの中世全般を、狭い意味では中世初期を指しますが、これは後者。西暦1000年前後のヨーロッパが舞台です。なんと魅力的な舞台であることか! そして、なんと扱いにくい舞台であることか!

 ふつう中世といって思い浮かべるのは中世盛期以降で、ルネッサンス以降のイメージまで混じるのがしばしばだというのに、初期中世となったら更に厳しいですよ。まったく華のない時代ですしね。まあ、適当にお茶を濁して遊べないこともないですが、わざわざダークエイジをプレイするんだったら拘りたいとも思うのですよ。ルールブックには時代背景についてもそれなりに書いてはありますが、どうしたって足りないのはしょうがないんですけどね。今の倍のページ数にしたってやっぱり足りないだろうから(増えた分、遊びやすくはなるだろうけどね)。

 とりあえずシナリオに困る。付属のシナリオもあるけど(まだちゃんと読んでいないが)ちょっと長めで、いきなりは使いにくそう。シナリオの背景説明は丁寧なので、村などの設定を流用するのが良いかもしれない。R&R誌のサポートもリプレイよりはシナリオを優先して欲しかった。どうせ『ダークエイジ』なんて買うのは、マニアだけだと思うしなあ。欲をいえば、ページ数を使った背景設定多めのシナリオがいいなあ。リサーチが大変だろうけど。

 所詮はイロモノだから、長期のサポートは期待できないのかもしれない。いいゲームだと思うんだが。
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2005年03月27日

その他の遭遇

 前回は、静的な障害について書きました。戦闘と交渉、静的な障害(というのは私の造語ですが)に加えて、D&DのDMGには「問題解決」と「決断に迷う選択」という遭遇(encounter)が載っています。

 「問題解決」というのは、パズルとか謎解きなどだそうです。ようするに、キャラクターのパラメーターを使用せずに、プレイヤーの能力で直接解決する遭遇と考えればいいでしょう。データを使わないで処理する交渉も、ここに含めていいかもしれません。
 これは、偶にやるならいいけど、あんまり頻繁に使うのもどうかと思いますね。それからよく言われることですが、難しい課題を出すと、えてしてプレイヤーは解けません。易しめに作っておくか、解けなくてもシナリオが進行するようにしておく必要があります。

 「決断に迷う選択」は、読んで字のごとくなんですが、これもキャラクターのパラメーターを使わずに直接プレイヤーの決断で処理します。「問題解決」と違うのは、明確な正解が存在しないか、正解らしきものはあっても与えられた情報と論理だけではたどり着ける保証がない点です。プレイヤーがどんな選択をしても、極端に不利にはならないようにすべきでしょう(多少不利になってしまう選択肢が存在してもいいとは思いますが)。
 プレイヤーの倫理的な価値観を問うような選択は、基本的にやらない方が無難です。やるにしても、プレイヤーがどんな選択をしても構わないというスタンスでシナリオを組んでおくべきです。ゲームマスターが勝手に「正解」を決めたりするとトラブルの元になります。
 ただ、D&Dのキャラクターには属性(アラインメント)というものがあるので、属性に揺さぶりをかけるような選択肢を用意しておくというのはありかもしれませんが。
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2005年03月20日

シナリオにおける静的な障害

 最近、シナリオについて考えています。とりあえず念頭にあるのは D&D なんですが、DMGではひとつの冒険(シナリオ)というのは遭遇(encounter)の連続で構成されるということになっています。
 典型的な遭遇は戦闘でしょうね。あとは、NPCとの交渉とか。交渉については先日少々書きました。

 で、その他の遭遇ですが、「静的な障害」というジャンルがあるな、と考えています。
 あんまり厳密な定義などは考えていませんが、戦闘や交渉など、PCの働きかけに対して対象が動的に反応するものに対比して、静的という言葉を使いました。具体的には、移動、捜索、情報収集といったところでしょうか。移動というのは、単に距離があるので移動に時間がかかるというものから、技能の使用が必要なもの(登攀、開錠、水泳など)、魔法等の使用が必要なもの(飛行、次元界の移動など)などを含みます。

 これらはどれも、基本的にはリソースを消費すれば解決できてしまいます。(リソースが十分にあれば。)さらにいうと、D&Dだとほとんどすべてのリソースが時間と金に還元できます。時間があればPCの持つ呪文などの使用回数は幾らでも回復するし、出目20を使えば、成功する可能性のある判定はたいてい成功させられます。金があれば、呪文でもマジックアイテムでも買えるし、必要な技能を持ったNPCを雇うこともできます(むろん、そうしている時間があればの話ですが)。捜索や情報収集も基本的には同じといえます。技能や呪文を使って解決する以上、時間と金さえあればそれでケリがつきますから。

 そんなわけで、静的な障害をそのまま出すのもいいけど、シナリオを作るならちょっとひと捻りを加えるのも面白いかなと。
 他の要素と絡ませるのがいいか。コストに見合ったメリットが得られるかどうかを悩めるように作るのもありか。とにかく、いろいろ検討の余地がありそうです。
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2005年03月19日

自作のRPG用背景世界

 米国だと、けっこう多くの人が RPG用の背景世界を自作しているようです(よくhomebrewなんて呼ばれる)。米国と比べると、日本では少ないように見えます。
 理由は、やっぱり面倒だからでしょうか。最近の国産RPGの多くでは、背景世界とルールが密接に結びついているのもあるいは原因の一つかもしれません。あとは、日本では RPG がコンベンション(という言葉の意味合いも日米でかなり差があるが)でプレイされる率が比較的高いことも影響していそうです。顔見知り同士のプライヴェートな環境でないと、なかなか難しいですからね。

 私自身は、自分でゲーム用に背景世界を作る気はありませんし、他の人の自作世界でプレイしたいともあまり思いません。なぜかというと、アマチュアの作った作品はプロのそれと比べて質が落ちるから、ではありません。

 実際いろいろと見てみると、アマチュアの作ったものでもかなり質の高いものがあります。アイディアの新鮮さでいうと、プロ顔負けのものも存在します。
 では何が問題かというと、「質」ではなく「量」なのです。アマチュア自作の世界は、ある程度の期間サポートが続けられてきた商業的なキャンペーン・セッティング比較すると、どうしても量で見劣りするのです。アマチュアが自作世界を作る場合、長期にわたってデザイン作業を継続すること自体が困難です。製作される環境の差をかんがみれば当然と言えば当然のことですが、そこには越えられない壁が立ちはだかっていると思います。

 それから自作世界で問題になるのは、いろいろ個性的な設定はあるんだけど、実際にゲームで使うための情報が足りないところでしょうか。例を挙げると、各種の地図とかシナリオなんかですね。
 地味だけれど時間のかかるゲームマスターの準備作業を肩代わりしてくれるという点で、市販の背景世界に魅力を感じるわけです。

 だから自作世界はダメだというつもりはなくて、面白いアイディアを持っている人はぜひ頑張って形にしてもらいたいのですが、でもやっぱり茨の道だなぁとも思うのでした。
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2005年03月17日

ソード・ワールド・カードRPG2の交渉ルール

 先日、RPGでの交渉について書きました。そこで、キャラクターのパラメーターを使わずにプレイヤーとゲームマスターのやり取りだけで処理するのは難しいという内容のことを述べたのですが、対話による交渉をプレイしやすくする試みも存在します。
 『ソード・ワールド・カードRPG2』の交渉ルールがそれです。「ソード・ワールド・カードRPG」というのはソード・ワールドRPGを簡略にした入門用のゲームで、それ自体は特筆するようなものではないのですが、交渉ルールに関してはなかなか興味深いものがあります。

 このルールの基本的なコンセプトを説明します。

1.プレイヤー側の交渉態度はカード化してあり、《威圧》《懐柔》《買収》といった中から交渉態度を選んでゲームマスターに提示する。

2.具体的な交渉の内容や台詞を口頭でゲームマスターに伝える。ここで迫真の演技などは必要ない。

3.ゲームマスターは、NPCの反応を決定する。交渉が成立しないときは、NPCの反応を口頭で伝えると同時に「ゲームマスター用交渉カード」から一枚を提示する。

4.数値やダイスなどは一切使用しない。ちょっとした会話や、ほぼ自動的に成功するような交渉のときにはわざわざカードを使用する必要はない。

 このルール(というかガイドライン)を使用するメリットは、類型化・パターン化によるプレイアビリティの向上です。
 《挑発》《言いくるめ》《泣き落とし》といった選択肢がカードになって目の前にあれば、とりあえずどれかを選んでやってみることはできますので、プレイヤーは「そもそも何をしたらいいか分からない」という状態に陥りにくくなります。
 また、交渉になると、ただお願いするだけとか、自分の主張を繰り返すだけ(えてして相手のメリットは考えられない)という人もたまに見かけますが、そういう人でも選択肢が明示されれば色々やってみようと思うのではないでしょうか。

 もうひとつのポイントが「ゲームマスター用交渉カード」です。PCが交渉を持ちかけたとき、ゲームマスターの返事が「相手は納得していないようだよ」というだけだったら、プレイヤーとしてはそれ以上どうしていいかわかりません。
 このルールを使うと、ゲームマスターの提示するカードから交渉不成立の原因を推測することができます。例えば、カードが《こちらの事情も察してほしい》なら、相手は自分の得るメリットが少ないと感じているので、相手にとってもっと魅力的な条件を提示することで交渉を成立できる可能性があります。しかし、カードが《信念は曲げられない》なら、相手の信念や道徳観に反することを要求しているので相手は利益では動かない、むしろ相手にとって許容範囲がどれくらいなのか見極めた上で、その範囲で交渉をまとめた方が良い、といった具合。

 こういうものは、寡聞にして似たものを見たことがありません。個性的な試みとして評価できると思います。それから、ゲームのルールに一切依存しないので、他のゲームにも流用できそうなのもいいですね。
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2005年03月16日

今のブームは改定新版、なのかな?

 海外、というかアメリカのRPG事情について。
 今更いうまでもなく、D&D3e/d20システムのブームは終わっています。明確なビジョンもなく、ただ流行りだからとd20システムを使った製品を出していたメーカーは早晩淘汰される運命にあったとは思いますが、v.3.5の発売がそれに拍車をかけた面もあったようです。といっても、D&D自体はあいかわらず好調に見えますが。もちろんd20でも、商業的に成功しているメーカーはあります。
 今は、D&D/d20システムへの一極集中から多極化への揺り戻しが起こっているのでしょう。具体的な動きとしては、各社の人気RPGの改訂新版がこのところ集中して発表されています。GURPS、WarhammerFRP、Ars Magica、Shadowrunなど。それにロールマスターを洗練させてプレイしやすくしたHARPもこの流れに入れてよいでしょう。T&Tの改訂版という話もあります。
 この流れは嫌いじゃないです。少しは日本でも翻訳されたら嬉しいのですが(GURPS4版は邦訳が決定してますね)。
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2005年03月15日

RPGにおける交渉

 もはや古典的な話題ですが、RPGにおける交渉について書いてみます。これについては議論が出尽くした感もあるので、まとめ的な内容になります。

 RPGにおける交渉を、下の四類型に分類しました。ゲームによっては、どの類型を用いるかルールで指定されていることもありますし、「ルールの欠如」によって選択肢が制限される場合もあります(キャラクターの交渉能力や魅力を表すパラメーターがまったくないゲームなど)。

1.交渉を「克服すべき課題」とはしない
 つまりどういうことかというと、交渉の場面はあっても、それにゲーム的な意味を持たせないというやり方です。
 典型的には「プレイヤーが交渉をする意思表示をすれば、ほぼ自動的に交渉が成功して話が進む」というのがそれでしょう。ゲームマスターが、プレイヤーに多少のロールプレイを要求することもありますが、よほど的外れな事をしでかさない限り、ロールプレイの内容は交渉の成否に影響を与えません。
 「自動的に交渉は成功」としてシナリオを組む場合はあまり問題になりませんが、「自動的に交渉は失敗」とする場合、プレイヤー側に「やり方次第では交渉を成功させることができるのではないか」と思わせてしまい、無駄な努力をさせてしまう可能性があるので注意が必要でしょう。 
 私の経験上、実はこのパターンが一番多いのではないかと睨んでます。なんだか拍子抜けな感じもしますが、これはこれで悪くない手法です。ただし、ゲームによっては交渉能力がキャラクターのパラメーターの一部になっています。わざわざ交渉能力の高いキャラクターを作ったプレイヤーは、そのパラメーターがゲーム内で意味を持たないことに気づけば、当然不満を感じるでしょう。

2.ゲーム内のパラメーターを使って交渉の判定をする
 キャラクターの交渉技能とか、魅力の能力値などを使って、交渉が上手くいったかどうか判定をさせるやり方です。プレイヤーの交渉能力は、考慮に入れません。
 キャラクターの交渉能力を表すパラメーターの重要性を損なわないのが、この手法のメリットです。例えば、キャラクターの魅力を低くしているくせに、プレイヤーの話術で交渉を解決しようとするような「ルールの骨抜き」を防止することができるわけです。
 デメリットは、たいていはサイコロを一回か二回振るだけで終わってしまうので、あまり面白くないことでしょう。判定が成功すれば成功のロールプレイを、失敗したら失敗のロールプレイをするという方法もあるでしょうが、ロールプレイがよほど好きな人以外は、そこまでしたいとは思わない気がします。交渉の判定には影響を与えないが、優れたロールプレイに対して経験値上のボーナスを与えるという手法も提唱されています。
 交渉の判定を面白くするために、戦闘のルールにも匹敵するような複雑かつ面白みのある交渉ルールを作るというアイディアも昔からありますが、これはこれでなかなか難しいようです。

3.プレイヤーが具体的な交渉を行う
 こちらは逆に、キャラクターのパラメーターは使用せず、プレイヤーの交渉能力のみで処理する方法です。
 プレイヤーが自分の頭を使って問題を解決する楽しみを得られるのが、このやり方の最大のメリットでしょう。なかなか難しい手法だと思うのですが、独特の魅力があり、根強い支持者が存在します。
 デメリットとして、第一に、1と同じくキャラクターの交渉能力パラメーターが意味をなくすことが挙げられます。第二点は、プレイヤーとゲームマスターの双方に経験や技術が要求されることで、どちらが欠けていても上手く回りません。
 ボードゲームなどでもそうですが、ゲームでの「交渉」という要素は好きな人と嫌いな人に分かれるものです。プレイヤーの交渉能力を試すようなスタイルは、無いとつまらないという人がいる一方で、一部の人にはひどく敬遠されます。ただ、RPGではゲームマスターが甘めに裁定することもできますから、それなりに気軽な交渉にすることもできますが。

4.折衷策
 2と3の折衷方式です。
 先にプレイヤーにロールプレイをしてもらい、その内容に応じてボーナスやペナルティーを加えて判定を行なうやり方と、先に判定を行ってから、その結果を睨みながらプレイヤーのロールプレイを評価するという2種類のやり方が考えられます。
 なかなか良さそうな手法に思えますが、ロールプレイという形のないものと、判定に用いる数値とを変換する際に、なにやら釈然としない不透明なものが残るのが気になるのは私だけでしょうか。深く考え始めると、ゲームマスターは大変なことになりそうですし。
 それで、2と3の「良いとこ取り」になればいいのですが、交渉内容が良かったのにダイス目が悪くて交渉が失敗したり、判定の結果が良かったのにロールプレイの内容を低く評価されて上手くいかないと、プレイヤーはかえって不満を感じる可能性があります。
 そこで、判定とロールプレイのどちらか良い方を採用するというのもひとつのやり方だと思います。しかしこの方法でも、パラメーターの骨抜きという危険に半分足を突っ込んでしまうことは否めません。

 結論としては、これが一番いいという方法はないので、使用するルールと参加者の趣味に合わせて適当なものを選べ、という平凡な意見になります。ゲームマスターはセッション前に、どの手法をとるかプレイヤーに宣言しておけばよりよいでしょう。
posted by Glaurung at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月06日

私がシナリオを書かない理由

 ここ何年もシナリオを自分で作っていません。その間、すべて既製のシナリオで済ませてきました。理由は簡単で、その方がずっと楽だからです。

 コストとしては、例えば D&D の10ドルのシナリオで5〜6人の人間が3セッション程度楽しめるわけですから、非常に安価だと言えます。邦訳版だと値段が倍ぐらいになりますが、それでも自作する労力と時間を考えれば安いものです。
 シナリオの質ですが、正直なところ、プロが作った市販品だから特別優れているという保証はないと思っています。とても自分には真似ができないと思わせるような大作・傑作もある一方で、ちょっと気の利いたアマチュアのシナリオの方がましだと思わせるものもあります。
 そのため、市販シナリオといえども必ず自分の目でチェックを入れる必要があります。明らかな駄作は、この段階で撥ねます。乱暴に言って、シナリオの完成度は準備にかけた時間と正の相関関係にあると考えていいでしょう。既製のシナリオを使う場合は、「シナリオライターが作成に要した時間」+「各GMがチェック・修正に要した時間」となりますから、一から自分でシナリオを作る場合と比べて完成度は高くなるといえます。しかも、シナリオライターとGMというふたりの人間がチェックをしているために、シナリオの穴などの見落としが減ります。
 シナリオを自作すると、しばしば「いつ完成するか自分にも分からない」という状態になってしまうことがあります。既製シナリオのチェックにかける時間は、自分が使える時間に合せて長くも短くもできますので、これもメリットのひとつに挙げることが出来るでしょう。

 シナリオの作成を負担に感じている人は、無理に自作するのはやめて、既製シナリオを利用してみてはいかがでしょうか。シナリオをチェック・修正する段階で、幾らでも自分好みに変更することができますから、GMとしての個性を発揮する余地も充分にあります。

 と考えてきたのですが、最近ちょっとシナリオを書いてみようかなという気になってきました。しかし何しろ久しぶりなので、何から手をつけていいかわからない。ダンジョンものならとりあえず、どっか(Map a Weekとか、Dungeon誌のバックナンバーとか)から適当なダンジョンマップを引っ張ってきて、そこから考え始めればいいのですが、シティ・アドベンチャーとなるとさてどうするか。完成はいつになるか分かりません。

(余談)
 シナリオの準備不足のマスタリングと言うのは、プレイヤーから見ても何となく分かるものです。
 その場合、GMはアドリブを駆使して何とか話をまとめるわけですが、プレイヤーから見るとやや強引な展開が目立ち(話をまとめるため誘導をきつくした)、散漫な展開が退屈な(プレイヤーは何をしていいかわからないから無駄な行動をとる&GMはとりあえず色々ネタを放り込んでみるが、多くは有効に機能しない)、ありがちなプロット(上手くまとめた=ありがちな話でしかないことも)としか認識されないという可能性が高いのです。シナリオ側からよく練られた選択肢を提示できないがために、「一本道」になってしまうこともしばしばあります。
 にもかかわらず、GMは「上手いこと、話をきれいにまとめたぞ!」という達成感を感じてしまうことがあるのが恐ろしいところです。この達成感がそのままセッションの成功だと思ってしまうと、勘違い系自称アドリブマスターが誕生してしまいます。
 アドリブのための材料(詳細な世界設定、NPC、各種の地図、事件のネタなど)を十分に準備した上でのアドリブならまた話は別かもしれませんが、それでも一般向きの手法とは思えません。ランダム・ダンジョンくらいなら楽しめますが。
posted by Glaurung at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月04日

FAQ と Q&A その2

 FAQ と Q&A について、もう少し続けます。
 FAQ、Q&A、あるいはウェブ上の掲示板等に質問をあげる人の意図のついて、三類型に分けてみました。

1.正しいルールが知りたい
 このタイプの人は、「FAQ型」の回答を望んでいます。逆に「とりあえず質問にあがってる状況は解決できるけど、ルール的な整合性には乏しい回答」では満足しない公算が高くなります。
 場合によっては「その疑問に対する公式な見解は存在せず、各ゲームマスターの裁量に任されている」という回答だけで満足なケースもあるでしょう。

2.実際のセッションで困った(困っている)ので何とかしたい
 このタイプの質問も、「FAQ型」の回答で満足できる可能性はあります。しかし「FAQ型」ではすくいきれないような個別的な質問である場合もあり、その時は「Q&A型」の対応が必要になります。「そういう細かい点はゲームマスターの裁量で適当に」と言われても困ってしまう初心者もいるわけです。
 このタイプの質問者にとっては、「正式なルールと明らかに異なるハウスルールの提唱」が最も満足のいく回答であるという可能性もあります。

3.ルールをネタにした雑談がしたい
 まあ、こういう人もいるわけですよ。ルール自体が好きな人にとって、こういう雑談が楽しいというのは私も理解できます。
 しかし、「2」のタイプを前提に回答することを考えている人にとっては、「そんな実際のセッションではまずないような状況を考えても意味がない」となり、「1」のタイプを前提にしている人からは「そんなルールの穴をついてどうする(ルール的に解決しようとすると、ルールを複雑化させてプレイアビリティを損なうだけ)」というような、ネガティブな反応が返ってくることもしばしばです。そして、そういう反応を返す人の気持ちもわかります。
 個人的には、「雑談だけど」と断わった上で度を過ぎない程度にやるならいいんじゃないかとは思いますけどね。しかし度を過ぎないことが肝心です。もちろん、こういう質問を公式に送るのはお勧めできません。

 自分が質問者になるにしろ、ウェブ上の掲示板などで回答者になるにしろ、上のようなことを考えておくことは有益ではないかと思いますが、いかがでしょう。
posted by Glaurung at 01:03| Comment(1) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

FAQとQ&A

 RPG では、ユーザーの疑問に対して公式側が回答する FAQ とか Q&A と呼ばれるサポートがあります、なんて改めて言わなくても知っている人は知っていると思いますが、そのへんについて少々。

 この手のサポートは大きく二種類に分かれると思っています。ひとつが「FAQ型」で、ユーザーの質問のうち頻度の高いものに対して、公式側から一括して回答するという形をとります。ルールの中で誤解を招きやすい部分や、ルールブックには明確に規定されていない部分をはっきりさせることを目的とし、ルールを補完するもの・ルールに準ずるものとして位置づけられます。
 D&D の公式 FAQ はこれに当たると思います。FEARの出す FAQ もこれに近いものでしょう(たぶん)。

 もうひとつが「Q&A型」。「FAQ型」と何が違うかというと、個別の質問に対して個別に回答するというところです。「Q&A型」のサポートが雑誌に掲載されたり、ウェブ上で公開されたりすることもありますが、それでも本質的には個別的な回答であるということが重要です。
 考え方としては、「ルールで不明瞭なところがあったら各ゲームマスターが適当に判断すればよい。ただ、初心者マスターの場合は悩むこともあるので、そのときはベテランであるプロが相談に乗りますよ」ということだと思います。質問者(あるいは質問と回答を見た他の初心者マスター)が「なるほど、こんな風に裁定していけばいいのか」と学習できることが主たる目的であり、必ずしも一貫性のあるルールの提示という形にはなりません。
 D&D でいうと、Sage へのメールでの質問と回答がこれに当たると思います。グループSNEのやってる Q&A も、こっちのタイプに近いんじゃないでしょうか(たぶん)。

 別の言い方をすると、「ルール」の領分に入るのが「FAQ型」で、「マスタリング」の領分に入るのが「Q&A型」です。もちろん現実には綺麗に二分できるわけはなく、グレイゾーンに当たる部分が存在します。
 この二類型、意外と違いが意識されていないようですが、それぞれ目指すものが違うので、気をつけないとトラブルの原因になりかねません。特に「Q&A型」のサポートに、「FAQ型」のサポートと同じものを求めてしまうケースがままあるように思います。
 どちらの方がよいというものではないわけですが、両方あった方がいいよね、と小さな声で言っておきましょうか。

(追記)
 あらためて考えてみると、「Q&A型」の機能は、ウェブ上のユーザーが集まる掲示板なんかでも代替可能ですね。昔はインターネットなんてなかったのですが、今となっては公式による「Q&A型」のサポートは必要性が低くなっているのかもしれません。
 ユーザーがあえて公式側に個別に回答を求めるとしたら、それはやっぱり「オフィシャルな答」が知りたいからなのでしょう。しかし公式側としても「FAQ型」で対応できないような細かい個別的な質問すべてに、一貫性のある回答を続けることは大変なわけです。その辺りで、ユーザー側の期待とすれ違いが起きているような…。
posted by Glaurung at 02:58| Comment(4) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月02日

Warhammer Fantasy Roleplay 2 発売まであと16日

 ということで、公式サイトが更新されていました。

 サイトにはプレイテスターのコメントが載っていましたが、それによると、

・能力値の「統率度」は使うことが少ないので廃止
・エルフとドワーフはトーンダウンして、バランスが取られた
・キャリア・クラス(ウォーリアー、レンジャー、ローグ、アカデミックの四系統の区別)は廃止
・従来のキャリアはほとんど残り、それに新しいキャリアが加わる
・技能は、「スキル」と「タレント」に分かれる。テストに使うのがスキルで、それ以外がタレントと呼ばれる。スキルは更に、誰でも一応は判定ができる「基本スキル」と、専門家にしか使えない「上級スキル」に分かれる
・属性(アラインメント)は廃止
・戦闘の基本的なコンセプトは変わらない
・1ラウンドに取れる行動は、フルアクションとハーフアクションに分類され、整理されている
・魔法のルールは大きく変更される
・魔力点は廃止
・「マジック」という能力値が導入され、この能力値の数だけd10を振り、その合計に各種修正値を加えたものが、当該呪文の目標値以上なら魔法をかけるのに成功する。失敗すると、狂気点が増加するか、「ティーンチの呪い」を受ける。司祭の場合も同様で、失敗すると神の怒りを招く可能性がある
・呪文をひとつ学ぶごとに経験値を消費することはなくなり、自分の属する系統の呪文すべてを知っていることになった(とはいえ、能力値の「マジック」を成長させないと、実際にすべてを使いこなすことはできない)
・ゲームには、十面ダイスのみを使用する

といった感じです。
 これを見るかぎりでは、旧版のイメージを残しながらも、上手くルールを改善しているように見えます。
posted by Glaurung at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | その他RPG一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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